2006年01月19日

『ぐるりのこと』梨木香歩

[ Book]

児童文学の作家で最近は一般向けの小説も書いている著者によるエッセイ.

以前読んで面白かった『村田エフェンディ滞土録』と部分的につながっている『家守綺譚』を読みたかったのだが,あいにく貸し出し中だったので,こちらを松山市立中央図書館で借りてきた.

タイトルになっている「ぐるりのこと」というのは「身の回りのこと」だろうから,気楽なエッセイだろうと気軽に読み始めたのだが...

これがなかなか手ごわかった.
確かに過去や現在の自分の身の回りのことから始まるものが多いのだが,単にその身の回りのことを書いているのではなく,そこから話が色々なところに飛躍する.
いや,飛躍するというのとはちょっと違うな.身の回りのことを手がかりにしながら,色々なエピソードを交えつつ,硬派なテーマを取り扱っている,というべきか.

そう.この本,かなり硬派なのだ.エッセイというよりは評論に近いのかもしれない.テーマは「対立」「境界」「共感」「個と群れ」「目的」など,色々あるのだが,全体として筋が一本通っているように思える.

こういうことを書くと,とっつきにくくて読みにくい本なのかというと,これがそうでもない.
確かにツルツルと読めてしまうような気軽なエッセイではないのだが,文章がとても良いのだ.読んでいて「端正」「静謐」という表現が何度も頭の中に浮かんできたくらい.

ということで,少々長くなるが最後に気に入った箇所を引用.

 もっと深く、ひたひたと考えたい。生きていて出会う、様々なことを、一つ一つ丁寧に味わいたい。味わいながら、考えの蔓を伸ばしてゆきたい。例えば、共感する、ことが、言葉に拠らない多様性に開かれてゆく方法について。最終的にはどうしても言葉で総括しなければならないのだけれど。何というアンヴィヴァレンツ。でも止められない。なぜなら、全て承知の上で、それでもなお私たちは、お互いを分かりたい、と欲して止まないものなのだから。それがどういう手段を選び、どういう馬鹿な結果を導こうとも。ああ。ああ。しょうがないなあ。
from「風の巡る場所」
 少しずつ、少しずつやってゆけばいい。今まであった成分の喪われた大地なら、また、これまで考えられないような、全く違う方向からやってくる成分が加えられることも、充分考えられる。新しいそれが、従来の大地のバランスの中に収まって機能してゆくのには時間がかかるだろうし、眉をひそめるようなことも、しばしば起きるかもしれないけれど。
 耐えられるだけ深く悲しんで、静かに自分の胸に収めていこう。そして少しずつ、少しずつ、土壌菌のように、自分の仕事を積み重ねて行こう。丁寧に、心を込めて。それがネムノキの花のように、儚く見えるものであっても。
from「大地へ」
 世界の豊かさとゆっくり歩きながら見える景色、それを味わいつつも、必要とあらば目的地までの最短距離を自分で浮かび上がらせることが出来る力が欲しいのだ。要点を分かりやすくクリアーにして、自家薬籠中のものにしてゆく、使える力にしてゆく達成感にも覚えがある。
 けれど外的世界を内側にリフレクトさせながら、それらが互いに深化してゆく、その旅の醍醐味がなかったら、「目的に向かう」という行為に、どれほどの意義が残っているというのだろう。
from「目的に向かう」