2004年10月07日

逃避中(あるいは修羅場の効用について)

[ Experience]

某所で「パソコンの前で反応する」と予想されていたので,とりあえず反応してみた.
と,これだと私を含めて3人にしか意味が分からないので,もう少し内容のある話を.

世の中にはインゼミ(インターゼミナールの略?)というものがある,これは全国の大学のゼミ同士でテーマを決めて,それについての議論をするというものらしい(参加したことがないので伝聞による).
で,これには実際に会合して議論をする前に,各ゼミでそのテーマについて研究して論文を作成するという作業が付随している.そして,この論文の〆切が今週末のようなのだ.

私の周囲にはこのインゼミに参加する学生さんが複数存在しており,そのほとんどが現在修羅場を迎えている.
某所の主である学生さんもそうだが,とある研究室で「昨日からずっとここにいるんですよ」と微苦笑する学生さんを見たときには,本当に頭が下がる思いだった.

以前「オープンキャンパス前夜」でも書いたが,私は学生時代に睡眠時間を削ってまで何かをやり遂げようと努力したことはない.自分の能力を超えるようなことには手を出さないし,何かあったら簡単に妥協してしまうタイプだからだろう.
そのおかげで,今まで本当の修羅場といえるような,自分の能力を限界ギリギリまで出し尽くすような経験をしたことがない.

そういう経験をしなくても済んできたというのはある意味ラッキーなのかもしれないが,実はとっても不幸なのではないかと思ったりもする.
以前書いた充実感云々というのもそうなのだが,それ以上に,修羅場というのは能力向上の絶好の機会でもあるからだ.
経営学の概念に「オーバー・エクステンション」というのがあるのだが,これは自分の能力の範囲内のことだけをするのではなく,自分の能力をすこし超えるような仕事や事業を意図的に行うことだ.
このオーバー・エクステンションによって,人や企業は成長の機会を得ることができるのだが,修羅場というのはまさにオーバー・エクステンションだと思う.
能力不足がどうしようもないくらい明らかな修羅場からは撤退した方がいいと思うが,なんとかゴールが見えているような修羅場,個人的には「プチ修羅場」と呼んでいるのだが,こういう修羅場だったら,なんとかクリアのしようがあるだろうし,クリアした際には確実に自分の能力が上がっていることだろう.それに修羅場をクリアした経験は自信(もっと正確に言えば自己効力感か)につながる.
なので,若いうちにプチ修羅場をできるだけ多く経験しておくことを,私は勧める.

ということで,現在,インゼミやその他もろもろで修羅場中のみなさん,頑張って成長しましょう.

おまけ.
若いうちに修羅場をくぐり,自己の能力を高めておかないと,歳をとってからこういう状態になってしまう.
ううっ,やるべきことは山ほどあるのに手が付かない...
誰か私に能力とヤル気をください...