2005年03月25日

卒業式

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24日は卒業式があった.式自体には出なかったものの,その後の祝賀会や,その後に開催されたサークルのコンパ(追いコンは別にやったし,あれの名称は何なんだ?)に出たりして,日付が変わる前に戻ってきた.
で,少々呑み足りなかったので,アルコールを片手にこれを書いている.

一部では「食べ歩き日記」だとか「酒と本のBlog」との評判もいただいている当Blogであるが,ここに掲載される記事はいちおう一定の基準で選ばれているので,単なる日記とはちょっと違っている,と少なくとも自分では思っている.
ただし,時々その基準から逸脱していることも書いてしまうことも確かである.今から書こうとしていることも自分的基準からすると掲載するのが不適切(理由:私的であり学生さんの参考にならない)なのだが,基準に沿った記事(書き溜めてた本の感想だが)も別途投稿するので,少々目をつぶっていただきたい.
ということで,以下は「チラシの裏にでも書いとけ!」とお叱りを受けるやもしれない文章になっている.

今回の卒業式というのは,自分的には特別な卒業式だった.

私は2000年の10月にここに赴任してきたのだが,今から考えればもったいないくらい何もしていなかった学生生活からそのまま大学院に行き,そのまま職業人としてここにやってきた.
なので,本業についての知識ならそれなりにあったものの,学生さんとの接し方などについては知識も体験もなかったわけで,周囲の見よう見真似で学生さんたちと接してきた4年間だった.
そういう生活を送りながら,初めて入学から卒業まで関わったのが,今回の卒業生なのだ.

この4年間,特にこの直近の2年くらいの間に,私はその形状も,行動も,認識も,大きく変わったと思う.これには,それまでの気楽な学生から,お金をいただく社会人になったということもあるのだろうが,やはり学生さんたちと接することで,変化のきっかけを見出すことができたからだろうと思う.
そのきっかけを与えてくれた学生さんたちの第一世代が今回卒業するということで,卒業生の前で泣くことはないとしても,ちょっとはしんみりするかなと思っていた.でも,いつものようにワイワイやっているうちに解散の時間になってしまったので,そういうことを感じる暇もなかった.

これからも学生さんと接していくうちに自分は変わっていくとは思うが,この4年間ほどの変化率を記録することはないと思う.
悪い方に変化した可能性も無きにしも非ずだが,4年前よりも少しは人間っぽくなった気もするので,その意味では第一世代の学生さんたちには感謝している.
なので,この記事を書きながら杯を傾け,改めて感慨に耽っているわけだ.


サークルの後輩が卒業生に渡すメッセージ帳に,私は湯川秀樹の逆旅の和歌を書いた(気になる方は検索してもらいたい).別れのイメージ(というか無常観?)は非常に強いものの,この手のメッセージとして書くにはちょっとふさわしくないような気もしたのだが,本当はその後にこう続けるつもりだった.

山また山と出会わず 人また人と出会う

出典を明らかにできない(確か国語の教科書だったと思うのだが)ところに私の教養の無さが滲み出ているわけだが,たとえ今は別れたとしても,意志と行動があれば再び会うことも不可能ではないだろう.
万物が日々変わり往く以上,そのときの自分は昔の自分ではなくなっているだろうけど,それでもいつか再会することもあるかもしれない.

そのときまで,とりあえずはお別れを.