2005年11月30日

『村田エフェンディ滞土録』梨木香歩

[ Book]

1899年のトルコ・イスタンブール.かの地の歴史文化を学ぶために招かれた村田は,英国人のディクソン夫人の屋敷で,ドイツ人のオットー,ギリシャ人のディミトリス,トルコ人のムハンマドと共に生活をしている.
ただでさえ国際色豊かな屋敷だが,ビザンティンの衛兵やお稲荷様,さらにはエジプトの神様までやってきて...

同じ作者による『家守綺譚』の評判が高く,本屋大賞にノミネートされたりもしたのだが,これまで読んだことがなかった.
じゃあ読んでみようかと思ってはいたのだが,要チェックメモに書いていなかったため,図書館に行っても何度もチェックし忘れていた.
松山市立中央図書館で貸出冊数を埋めるための本を探していたところ,『家守綺譚』のことをたまたま思い出したのだが,無かったので同じ作者の本作を借りてきた.

タイトルにある「エフェンディ」というのは学問を収めた人に対する尊称で,「滞土録」の「土」はトルコのこと.
なので,タイトルは「村田先生のトルコ日記」ぐらいの意味だ.
なので内容も,主人公の村田がトルコにいる間の身の回りの人々や出来事のことについて書いたという形式になっている.

世間の評価が高い作者なので,それなりに期待して読み始めたのだが,これがどうもとっつきにくかった.面白くないわけじゃないんだけど,妙に淡々としているのだ.

「私には合わないタイプかなあ」などと思いつつ読んでいたのだが,次第に引き込まれていった.
相変わらず淡々とした感じにさまざまなエピソードが描かれていくのだが,表面的にはそれぞれのエピソードを描きながらも,その後ろで何かが積み上がりつつあるような感覚がある.
スリルとサスペンスを追求するような作品では全然ないのだが,まるで落ち物ゲームで連鎖を仕掛けているときのような感じがしたのだ.

「さて,どういうオチになるんだろう」とワクワクしつつ読み進めていったのだが...

「えっ,ここで?」



「はぁ? えらくアッサリと...」



「...」



「ぐはっ,そうきたか...」

ということで,思っていたのとは全然違う形ではあったが,ラストは見事にやられてしまった.ありがちといえばありがちなんだろうけど,読んでいて鳥肌が立ってしまったくらい.

なお,ラストは『家守綺譚』とつながっているらしいので,少々意味不明なところがあった.順番としては『家守綺譚』から読んだほうがいいようだ.
順番が逆になってしまったが,こちらも読んで見なくてはなるまい.

最後に気に入った箇所を引用.

 ――人は過去なくして存在することは出来ない。
ディミトリス
 ――こんな事は何でもないことだ。「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」
ディミトリス
 ――その人はこう答えた。「ええ、いつまでも繰り返すでしょう。でもその度に、新しい何かが生まれる。それがまた滅びるにしても、少しずつ少しずつ、その型も変化してゆくでしょう。全く同じように見えていてもその中で何かが消え去り何かが生まれている。そうでなければ何故繰り返すのでしょう。繰り返す余地があるからです。人は過ちを繰り返す。繰り返すことで何度も何度も学ばねばならない。人が繰り返さなくなったとき、それは全ての終焉です」と。
ディミトリス