2006年06月18日

『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久

[ Book]

臨床心理士である著者が,カウンセリングで重要視される「聞く」技術を一般向けに紹介している本.
ネット経由で知った本で,やっぱり松山市立中央図書館所蔵.

私は基本的に引きこもり属性が強く,自分から積極的に話をするよりも,相手に話しかけられて,それに反応する方が楽なので,「話し上手」よりも「聞き上手」を目指している.
なので,渡りに船とばかりに借りてみたのだが,私が想像していた「聞く技術」とはかなり違っていた.

著者はカウンセラーの中でもロジャース派の人のようで,ひたすら相手の話を聞くことを重視している.
相手が色々と話をしていくうちに自分で悩みを解消することをめざして,相手に話しをさせるための技術が,この本での「聞く技術」っぽい.
そのための心がけとして「相づちを打つ「聞かれたことしか話さない」「説明しない」などがあるのだが,これが「言うは易し,行なうは難し」のものばかり.
自分の経験を思い起こしてみても,自分では「聞き手」に徹しているつもりでも実際には「話し手」にまわっていることは多かった.

そういう意味では,自分の行動を振り返る良いきっかけになったと思うのだが,どうも違和感が拭いきれない.
どう考えても,これは私が考える「聞き上手」ではない.

「ひたすら聞き手に徹する」という行動の背景には「その人の悩みはその人にしか解決できない」という考えがあるのだが,これには私も大賛成だし,自分もその原理に基づいて動いているつもり.
でも,相手が勝手に話をして自己解決するんだったら,相談されるのが「私」であることに意味はないんじゃないか?
ひたすら話を聞いてくれるだけでいいなら,壁でも鏡でもハムスターでもいいんじゃないか?
(まあ,壁や鏡やハムスターは適当な相づちを打ってくれないので,話しづらいだろうけど)

私の考える「聞き上手」というのは,相手の話に耳を傾けるのはもちろんだけど,適度に質問もしつつ,相手と「私」の持っている情報と知恵を総動員して,より良い選択肢を作り上げられる人のこと.
これは壁や鏡やハムスターでは到底無理な芸当だろうし,それでこそ「私」が相談を受けることの意味だと思うんだけど...

でも,amazonでも高評価だし,4年間で43刷というハイペースで重版しているところをみると,私のような考え方は少数派なのかなあ.