2005年05月06日

『自由を考える 9・11以降の現代思想』東浩紀・大澤真幸

[ Book]

基本的に私の読書傾向は偏っているわけだが,このところは図書館を利用することが多いため,以前よりも読書の幅は広がっている.
とはいえ,読んだ本の中で取り上げられていた本を読んだり,面白かった本の作者の違う本を読んだりと,何らかの形でつながっているイモヅル式読書法であるため,これだけだと選ぶ本に偏りが出てくる.
これを補完するのが「書店で見かけた」や「ネットで見かけた」などに端を発するランダム式読書法なのだが,個人の嗜好のフィルタがかかっているとはいえ,これらの2系統で選んだ本がピッタリ一致することはあまりない.

しかし,時にはこれが一致することがある.最近だと『星の王子さま』がそれだったのだが,久しぶりにイモヅル式(心理学関係で)とランダム式(Blogにおける格差社会論争関係で)が一致したのがこの本.ということで,松山市立中央図書館で借りてきた.

内容のほうだが,哲学者と社会学者の自分たちの著作に基づいた対談集.
前提となる知識不足のため,かなり分かりづらいところもあるのだが,それなりに気を使って説明が加えられているので,なんとかついていけた(と思う).

いくつかキー概念があるのだが,もともと読むきっかけになった2つの権力を中心にまとめると以下のようになる.

従来の権力が規律訓練型の権力(=○○をしてはいけない)であるのに対し,現在の権力は環境管理型の権力(=○○できないようにしておく)になっている.
このため,現代社会は,自由の謳歌と物質的豊かさの結果として「動物化」がおこっているシミュラークルの層と,情報技術による個人認証で選択肢自体が提供される(=自由に見えて不自由)データベースの層の両面から考える必要がある.

個人認証(=匿名性の不在)による各人の好みに基づく選択肢の提供は,豊かな生活をもたらす一方,社会の断片化・島宇宙化をもたらし,意図しない選択肢や情報との遭遇という偶有性(偶然性)を減少させてしまう.
しかし,偶有性と他者の立場との交換可能性についての想像力は共感の発生条件であり,その偶有性が縮減されるデータベースによって管理された社会では,身近なものに対する共感が失われ,その一方で,シミュラークルの層におけるグローバルな「共感」が喧伝されることになる.

他にもキー概念(第三者の審級とか固有名とか誤配可能性とか)があるのだが,そのあたりは省略して書いている.

うーん,著者の一人である東浩紀の『動物化するポストモダン』はオタク論として流し読みした記憶はあるんだけど,「オタクはデータベースに萌える」という印象しか残ってないなあ(間違ってる?).もう一度読み直すか.