2005年05月23日

『いちばん初めにあった海』加納朋子

[ Book]

加納朋子の4冊目の作品.以前書いた『ガラスの麒麟』は4作目ではなく5作目らしい.
連作短編集ではなく2編の中編で構成された1冊.

表題作の中編は,『ななつのこ』や『ガラスの麒麟』と同じ,作中作をうまく組み合わせた作品.作中作やら現実やら回想やらが何の前触れもなく始まるため,読んでいる最中に訳が分からなくなってグラグラしてきたが,最終的には落ち着くところに落ち着いた感じ.
読み終わって「関西弁っていいなあ」と思ってしまったわけだが,作中に出てくるような関西弁は若い人は使わないと思うぞ(大阪出身者の感想).

もう一本の中編『化石の樹』もいい話.書きたいことは色々とあるのだが,ネタバレになってしまうので,それは書かないことにしよう.
しかし,話の構造(というか道具立て?)だけを取り出してみると『セメント樽の中の手紙』に近いのではないか,とこの記事を書きながら思ってしまった.でも,話としてはぜんぜん違うので,プロレタリア文学が苦手な人でも安心して読める.

個人的には『掌の中の小鳥』に次くらいに好きな加納朋子作品かな.
どこかで,加納朋子の最初の1冊に『掌の中の小鳥』が挙げられていたけど,本作でもいいような気がする.

最後に気に入った箇所を引用.

 ぼくが言いたいのは、人間が生きて生活していれば、ある種のスイッチが切り換わることがあるってことだ。なにか、ごくささいなことをきっかけにして。
 もちろん、自分じゃほとんど意識なんてしないだろう。だけどどんな選択にも、かならず何かしらきっかけはあるはずだ。
From『化石の樹』

 だけど人間、生きていればときに、ありとあらゆる矢印が、すべてただ一点を指し示している、なんてことがあるものだ。 From『化石の樹』