オタク,ダイエットに熱中する女の子,JUNE(≒「やおい」と書くのは正確ではない?)好きの女性.これらはすべて「居場所」の非存在に対する不適応または過剰適応の結果である.
1991年に刊行された評論のため,今では遥か昔のように思える事件が当然の前提として用いられているので,最近の学生さんには読みにくいだろうし,途中でJUNEものの解説やマンガ論が展開されていたりするため,読むのを途中であきらめる人もいるかもしれない.
そういう人は最後の2章だけを読めば大丈夫.
出版当時はともかく,今ではそれほど新鮮味はないような気がするが,これは読みながら別のことを考えていたためかもしれないので,そのあたりの判断は保留.
この本の中に「役割としての子供」という概念が出てくる.私は以前から「稚気のある大人」になりたいと思っており,この「役割としての子供」というのとかなり似ていると思えるので,他の人に説明するときはこちらを使うことにしよう.
「50代になっても『ボク3歳,ばぶー』と言えるような大人になりたい」
と説明するよりは世間体がいいだろう,きっと.
なにはともあれ,自分の「居場所」を見つけたり,他の人に「居場所」を与えてあげたりするのは難しいことだよなあと思う今日この頃.