2004年12月26日

『繁栄と衰退と』岡崎久彦

[ Book]

以前紹介した『投資情報のカラクリ』の著者である切込隊長が自分のBlogでお奨め図書として挙げていたので,松山市立中央図書館で検索してみたら当然のごとくヒットした.やっぱり恐るべし,松山市立中央図書館.

副題が「オランダ史に日本が見える」で,刊行が1991年(雑誌連載は1990年?).バブル崩壊したといえど,それなりにニッポン絶好調で諸外国から嫌われていた日本と,軍事を軽視して貿易に専念することでこの世の春を謳歌していた17世紀のオランダを重ねて描いている.

切込隊長曰く「投資の極意ではないかとでも思える内容がふんだんに盛り込まれて」いるらしいのだが,どこがそれなのかは全く分からなかった.

じゃあ,面白くないのかというと,これが結構面白い.世界史で習ったはずなのだが全く思い出せない英蘭戦争や仏蘭戦争というのは(オレンジ公ウィリアムは覚えてた),こういう風に政治と経済と軍事と外交が密接に絡んだ結果として発生し終息していったんだなあ,という感じ.

そういう点では塩野七生の『ローマ人の物語』に近いのかもしれないが,『ローマ人』が基本的に人物重視であるのに対して,こちらの方は歴史の裏側で動いているロジックというか,仕組みというものを重視している印象を受けた.

いつものように気に入った箇所を引用

「忘恩は国家間でも個人間でもほめたことではないが、それだけでなく賢いことでもない」
(ビスマルクの言)


商売でも賭事でも戦争でも、いちばん難しいのは降り時を知ることであり、いちばん危険なのは甘い判断をして降りるチャンスを失うことである。


 戦略さえよければ戦術的な失敗は取り返しがつく。一度や二度、「あの時にはっきりノーと言っておくべきだった」と臍を噛んでも、交渉をまとめようという誠意があれば挽回は可能である。逆に戦略が悪ければ、戦術的にいくら勝ってもいずれは負ける。むしろ、戦術的に勝ち進むほど戦略の悪さが露呈するのが遅れて、それだけ大きな破局に導く。
 太平洋戦争の例でいえば、硫黄島の防衛作戦は戦術的にはほとんど完璧であった。もし開戦にいたる経緯で、日本が最後までアメリカとの戦争だけは避ける方針で真剣に相互利益の調整をはかり、それでも最後にハル・ノートが来たならば、それを公表し、正々堂々と宣戦布告をした上で開戦していたならば、硫黄島で二万の海兵隊を失ったアメリカに厭戦気分が生じたのは必至で、日本全土が空襲で焦土と化する前に和平のチャンスがあったかもしれない。
 しかし、開戦時に真珠湾奇襲のようなことをやってしまってはどうしようもない。
 硫黄島と沖縄の善戦は、日本本土の端に取りかかっただけでこれだけ損害が出るのでは、本州に上陸したならば何百万人の犠牲が必要かわからないということで、アメリカに原爆の投下と、ソ連の参戦を決意させる直接の動機となった。
 同じ戦術的な成功が、戦略の良し悪しでこれだけ結果が違うのである。