2005年11月15日

『ターン』北村薫

[ Book]

駆け出しの版画家である「真希」はある夏の午後,ダンプとの衝突事故に遭うが,気がつくとそこは自宅.しかし,その周囲からは同居の母を含む,あらゆる生物が消えていた.しかも,どんな1日を過ごしても,15時15分になると一日前の自宅に戻ってしまう.誰もいない孤独な世界で同じ日を繰り返し続けたある日,突然電話が...

『スキップ』に続く「時と人 三部作」の第2作め.前作が25年を飛び越したのに対して,本作は同じ1日を繰り返す主人公を描いている.

よくよく考えてみれば北村薫の作品は一人称(=主人公が地の文を語るタイプ)が多いのだが,この作品はなんと二人称による描写(主人公の行動を「君は〜〜」という形で描写する)で始まる.
二人称の小説というのは初めてだなあと思いつつ読んでいたのだが,「ところで,この視点の主は誰なんだ?」というのが気になり,しかも主人公の置かれた状況が状況だけに,ちょっと怖いことを想像してしまった.
途中で視点の主が判明し,それとともに二人称部分も消滅するのだが,まんまと作者の術中に嵌まった感じ.

作品としては,『スキップ』では国語の授業や受け持ちの学生のエピソードが時々挟まれていたのに対して,本作は基本的にストーリーが一本道(正確には二つの話が一)だし,その展開も前作に比べるとドラマティックなので,その分だけテーマである「時と人」についても分かりやすくなっているように思えた.

と,色々と書いてみたが,実は加納朋子もビックリな乙女度の高さを誇っている作品であり,前作に続き,本当に作者は男性なのか?と疑ってしまった.写真も載ってるし,確実に男性だと分かってはいるんだが...


・おまけ
二人称の小説について検索してみたところ,実は乙一の「フィルムの中の少女」(『さみしさの周波数』に収録)で既に経験していたことが判明.
そういえば,あれも読んでいて怖かったなあ.題材&夜中に読んだこともあるのだろうが,やっぱり二人称小説というのは不気味な感じがするのだろうか.それとも単に慣れていないので,その違和感が不気味さに転化しているだけのことなのだろうか.