2006年08月27日

『おとなの小論文教室。』山田ズーニー

[ Book]

私の2005年 活字本 ノンフィクション部門の第一位だった『伝わる・揺さぶる!文章を書く』の著者によるコラム集(エッセイ?).
もともとはほぼ日に掲載されていたもので,その関係で読者からのメールの紹介なども多くある.
松山市立中央図書館所蔵.

『伝わる・揺さぶる!文章を書く』のときもそうだったのだが,非常に納得できることが書いてある反面,読んでいてどうも違和感があった.
それは,若者向けの本によくある「若いうちはやりたいことをやるべき! 本当にやりたいことを見つけるべき!」的な主張をそこかしこに感じたせいなのだが,私はこの手の無責任な主張が大嫌いだ.
というのは,やりたいことをやって生活できるのはごく一部の人だけであること,そして「やりたいこと」というのはあくまでも「『現時点での』やりたいこと」であり,それが生涯変わらないとは思えないため.
そのあたりのリスクを説明することなく,人を焚きつけるというのは私には無責任としか思えないのだ.

で,この本も前半に「心の火種」や「情熱」を大事にして「やりたいこと」をみつけよう的なことが書かれていたので,「この本は合わないかも」と思いつつ読んでいたのだが,途中から印象が変わってきた.

自分が好きなことがどこかに必ずあって、自分がそれにふさわしい才能を持ってるって思い込んでしまった段階から、なにかこう、「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなところもあると思うの。

著者が先輩から言われたこの言葉から始まる第2章「自分の才能って?」から急激に面白くなってきた.
そして,第3章「一人称がいない」.「まさにそのとおり!」と大きくうなずきながら読んでしまった.
仕事柄,学生さんの書く答案やレポートを読む機会が多いわけだが,「借り物っぽさ」が目立つものが多い.
合否のかかった答案やレポートで冒険をするわけにはいかないのも分かるのだが,無難なものや,「ちゃんと勉強しました!」とばかりに概念を書きまくったものばかりを大量に読んでいると,「で,あんたはどう思ってるねん?!」とツッコミを入れたくなってしまうのだ.
思ってることをナマで出すのも問題はあるので,そこはTPOに応じたオブラートでつつむ必要はあるだろうけど,それができることこそコミュニケーション能力の高さじゃないのかなあ.

最後に気にった箇所を引用.

考えることが、その人の選択になり、意志になる。 意思を言葉にし、伝えることで、人は、自分の思いが反映された状況を切り拓いていける。 考える、書くということは、ほんとうに自由なことだ。