2007年06月04日

『ことばが劈かれるとき』竹内敏晴

[ Book]

幼時に耳を病んだため,耳が長いあいだ聞こえず,そのために話すことのできなかった著者が,努力と訓練によって「ことば」と「こえ」を回復し,その体験を治療や教育に活かすまでの過程をつづった本.

もともとは鹿野司の科学エッセイで紹介されていた本なのだが,最近,読む本が小説に偏り過ぎな気がしていたので,以前買ったままで積んであった本から小説以外の本ということで選んでみた.
タイトルの「劈かれる」だが,これで「ひらかれる」と読む.この「劈く」というのが本書の一つのキーワードであり,「からだが劈かれる=からだが世界に向かって自己を越えること」と定義されているのだが,うーん,ちょっと説明が難しいなあ.

著者はもともと演劇畑の人だったのだが,自身の体験や演劇の訓練を通じて,からだの緊張や姿勢の悪さが「ことば」や「こえ」に悪影響を与えていることに気がつき,相手に伝わる「ことば」や「こえ」を出せる「からだ」を作るためのレッスンを行うようになる.
じゃあ,この本は演劇論や体操についての本なのかというと,単純にそういう本でもなくて,メルロ=ポンティや折口信夫などを引用しつつ,ことばとは何か,コミュニケーションとは何か,というところまで展開している.
いや,そういう根本問題を具体的に扱うために演劇や体操を使っているという感じか.

そんなに難しい言葉で書かれているわけではないのだが,身体感覚やイメージに関する説明が多いので(「こえが届く」とか),ちょっと実感が沸かないところも多かった.大声を出して自分で試してみればいいんだろうけど,防音設備が充実している部屋で読んでいたわけではないので...

私は商売柄,人前で話すことが多いわけだが,そのための訓練を特に受けたわけでもないので,「こんな話し方でいいのかなあ」といつも思っていたりする.
同時に,これは最近になって特にそうなのだが,「それなりに体が動くうちに,体の動かし方をちゃんと習っておいたほうがいいよなあ」ということも思っている.別に速く走ったり泳いだりしたいわけでなく,長く動いても疲れたり腰が痛くなったりしない体になりたいわけだ.
で,この本を読んでみると,それって実は同じことなんだという気がしてきた.とりあえず,この本でも紹介されている野口体操というやつをちょっと調べてみるか.